パラダイスの夕暮れ

フィンランドでの生活について記します。アンダーグラウンドシーン、ベジタリアン、ヴィーガン、アニマルライツ、映画、音楽、サブカルチャー、ファッションなどについて書いていく予定。

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想像力を持つこと、<うつろな人間たち>への抵抗

MAN



人類が誕生してから、やりたい放題を尽くしてきた様を皮肉たっぷりに描いたアニメーション。

これを見ていると、人間は本当にやりたいことは何でもできるのだな、と思います。
なぜなら彼らには何でもできる力があるから。
人間は限りない欲望と、それを叶えることのできる力を持っています。
これはたいへん怖いことです。
なぜなら人間以外のものは、人間の欲望の下に意のままに使われるしかなすすべがないからです。
このアニメーションのように。

そして多くの人の中で欲望と結果・事実の線がうまく繋がっていないように感じます。
というのも、動物園などではうさぎやイルカを「かわいい」と言う人が、平気で毛皮を着たりイルカ漁に賛成したりするからです。
そしてその残酷な部分を「かわいそうだから」と言って見ようとはしないのです。



<欲望と事実・結果の例>

おいしい料理が食べたいから、牛や豚や鳥を殺して食べる。

おいしい飲み物が飲みたいから、母牛から子牛のためのミルクを取って飲む。

やわらかい肉が食べたいから、子牛を殺して食べる。

効率よく低予算でおいしいものを食べたいから、早く育つブロイラーを作り、できるだけおいしい肉がとれる牛を繁殖させる。

効率化を図るために放牧はやめて動物を小屋に閉じ込め、畜産を機械化する。

畜舎で疫病が出た時、安く早く処分したいのでみんな生き埋めにして片づける。

珍しいものが食べたいから、捕鯨を正当化してクジラを食べる。

暖かい服が欲しいから、ウサギやキツネから毛皮をはぎ取る。

暖かいふとんで寝たいから、水鳥から羽をむしり取る。

暖かいブーツが欲しいから、羊の毛皮を剥ぐ。

若くありたいから、豚のプラセンタ(胎盤)を顔に注射する。

安全な化粧品を使いたいから、動物の体で実験をさせる。

面白いものが見たいから、サーカスで調教された熊を見る。

かわいい犬が欲しいから、ペットショップでかわいい犬を買う。

もっとかわいい猫が欲しいから、かわいい猫だけを交配させ繁殖させる。

アパートで犬を飼いたいので、吠えないように犬の喉の手術をさせる。

やっぱり飼えなくなったので、保健所に持って行って処分してもらう。

観光地に動物がいたほうが楽しいし儲かるので、鹿を野放しにする。

食べないけど楽しいので魚釣りをする。


こういった残酷な事実を知ると悲しくなるので、事実を見ないように、知らないようにする。

動物を食べると罪悪感があるので、「感謝して食べる」「肉を食べないと健康になれない」「みんな他の命を頂いて生きている」と理由づけ、良心が痛まないように正当化する。



*****************************************
上記のこと、欲望と事実、結果は、想像力さえあれば当たり前に検討がつくことではないですか。
今、人々には想像力が欠けているように思います。
そして欠けた想像力をメディアなどが発信する自分たちにとって都合のいい情報で埋め合わせているのです。


村上春樹の「海辺のカフカ」になるほどな、と思った部分がありました。(大島さんのセリフです)


「ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押し付けようとする人間だ。」

「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。一人歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から憎む。何が正しいか正しくないか―もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取り返しはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。」



(この本ではまた「想像力を欠いた人たちをいちいち真剣に相手にしていたら、体がいくつあっても足りない」としています。)

菜食推進のブログや毛皮反対活動などで、彼らに対して攻撃的になる人をよく見ます。
自分のしたことを振り返り、批判されているように感じるのかもしれません。
あるいは自分の欲望を邪魔されているように思うのかもしれません。
なんでもできる可能性を否定されたと感じ、傷ついたのかもしれません。


私は(そして他の動物保護運動をしている人たちの多くもそうだと思いますが)誰も非難するつもりはありません。
少なくとも私は人生において上記に当てはまることをいくつかしてきたし、誰かを非難できるような立派な人間でもありません。
ただ以前の自分が事実を知って気付けたように、他の誰かにも気づいてほしいのです。
こんな事実があることを、そしてすべての人にそれを変えられる可能性があることを。


毛皮反対運動をしている人に対して、「肉を食べてる癖に偉そうなことをいうな」と言うのも論点がずれているように思います。
0%か100%ではなく、できるだけのことをすることが大事だと思います。
肉を食べていたとしても、毛皮反対運動をすれば、肉を食べ毛皮も着るより明らかプラスなことではないですか。
ポジティブな何かをやろうとする人に対して、こういうことを言って足を引っ張ろうとする人を悲しく思います。


アニメでは欲望のはてに残ったのは果てしないゴミの山。
欲望によって手に入れたものが全てなくなったとき、残るのは自分のみ。
私は欲望よりも、良心を大切にしたいです。
欲望によって手に入れたものなんていずれは無くなる。
でも良心さえあればなんとか自分を保っていけると思うのです。


私ははっきり言って、特別に動物が好きなわけではありません。
彼らの生に責任を持つのが怖くてペットすら飼えません。
ただ彼らが不公平な扱いを受けるのに我慢ができないのです。
「なんでもれきれば、何をやってもいい」は違うと思うのです。
自分の行動に責任を持ち、想像力を持ち合わせること・・。


こんなことをヴィーガンになってからよく考えています。


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  1. 2013/02/07(木) 00:28:14|
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